内場勝則の若い頃がイケメン!同期はダウンタウン!経歴とプロフィールまとめ

お笑い
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新喜劇の座長を勇退されてからも、相変わらず大人気の内場勝則さん。

内場さんは今もイケメンですが、若い頃はもっとイケメンだったことをご存じですか?

 

今回は内場勝則さんが吉本に入ったきっかけや、プロフィール、若い頃の新喜劇の話、未知やすえさんのことなど経歴をまとめてみました。

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内場勝則の経歴とプロフィール

プロフィール

名前:内場 勝則(うちば かつのり)
生年月日:1960年8月22日
年齢:62歳(2022年現在)
血液型:B型
身長:161cm
出身:大阪府

お笑いの世界に入った動機は不純だった

高校卒業後にバイトをしながらなんとなく、ダラダラ過ごしていた内場さん。

バイト先の喫茶店のママから、

「新喜劇の作家の竹本浩三さんがお客で来てるで」と言われます。

 

 

「すんません、吉本入れてくれません?」

と言いに行ったことがお笑い界へ入ったきっかけでした。

なぜ「お笑いの世界いいかも」と思ったかというと…

 

  • NSCは楽しそう
  • 冬は暖かい夏は涼しい
  • 重いもの持たなくて済む
  • 綺麗なスタジオに入れたらいいなー

このような感じだったそうです。

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同期はダウンタウン!

内場勝則さんは大阪NSCの一期生です。

 

ー同期ー
ダウンタウン
トミーズ
ハイヒール
ジミー大西

ものすごいメンバーが同期にいたんですね。

内場さんは同期にいたダウンタウンのことを見て、「あれには勝たれへんな」と思ったそうです。

彼らはダントツに面白くてすぐに頭角を現したと言います。

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吉本新喜劇の舞台へ

辛かった「やめよっカナ?」の頃

 

1985年からは内場さんは、吉本新劇の舞台で活動をするようになります。

「一年で食べれなかったらやめよう」

次は一人暮らしできるようになろう」

そんなことが続いていくうちに結婚して、

最終的には座長にまで登りつめたのです。

 

花紀京さん、岡八郎さん、木村進さん、間寛平さんらが中心の時代だった。

「やめよカナ?」の頃が一番、厳しかったと言います。

内場さんもリストラ対象になり、

「やすえと漫才やれ」と言われたものの、2人とも芝居がしたかったので、「嫌です」と断ったそうです。

 

やめよっカナ?キャンペーンとは
  • 新喜劇を改革・再生させるには世代交代と全国区に売り出すことが必要である
  • その再生プロジェクトとして、期限までに観客動員数が目標値に達しなければ、吉本新喜劇自体を解散
  • 目標観客動員数は1989年10月から1990年3月までの半年間で延べ18万人、1日平均に換算すると約1000人
  • かつて新喜劇の顔であった花紀京、岡八郎が「勇退」という形で事実上の退団
  • さらに中堅・ベテラン座員の多くが戦力外通告された

 

抜けた座長を埋めるように大阪で人気者だった今田耕司さん、東野幸治さんが2丁目(心斎橋2丁目劇場)からやってきて座長へ。

 

 

脇役に回ってしまった内場さんでしたが、「まあ、エエか~と」と気楽に考えていたようです。

 

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ニューリーダー就任!

 

1995年からは辻本茂雄さん、石田靖さんとともにニューリーダーに就任をします。

この時期はダウンタウンの東京進出があって、今田耕司さん、130Rさん、東野幸治さん達が新喜劇から抜けてしまいました。

お客さんもいなくなり「なんとかせえ」とか言われて、いなくなったお客さんを新喜劇に戻すのが大変だったそうです。

 

毎日徹夜で3人(石田靖、辻本茂雄と)で残って、「どうしよう?」と話してました。 
3人で意見詰めて、台本を作る打ち合わせにも3人で行ってました。
先人の方に俺らの時代に潰したって言われたくなかっただけです。

ついに座長へ

 

1999年、ニューリーダー3人と吉田ヒロさんが揃って座長に就任します。

この頃からニューリーダーってあったんですね。

そしてニューリーダーから座長の流れが当然のようにあって…

そう考えると今のニューリーダーってどうなってしまったんでしょうね。。。

 

座長内場さんとは
  • ボケもツッコミも器用にこなす
  • 特定のキャラクターに頼らず笑いがとれる舞台を作っていた
  • まさにスーパー座長
  • 座長経験者の中では珍しくテレビ出演は少ない
  • 派生番組、一部のドラマ作品に絞っている
  • 酒豪で有名
  • 2019年3月をもって座長を勇退
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座長としての思い

 

かつて座長だった木村進さんから、「内場、お前はツッコミがええんやから頑張れ」と言われたそうです。

「若手はスベることも覚えなあかん」といつも言っていたそうです。

スベらないとウケることが分からないからです。

 

 

内場さんも若手には「スベっても俺らがフォローするから、思い切ってやりなさい」と言っているそうです。

なんて頼りになる座長なのでしょうか。

 

そして内場さんはこのように語っています。

「みんなの邪魔になったら辞めようと思っています。

いをとれるうちは、まだ吉本にいられるかなって。」

 

 

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未知やすえと結婚

プライベート部分では内場さんは1992年2月11日に、未知やすえさんと座員同士の結婚をしました。

え……若い頃の内場さん、確かにめっちゃイケメンです!

私はこの頃の内場さん知らなくて、これはやすえさんが惚れるのもわかります。

 

太めの女性が好みだという内場さん。
未知やすえさんがダイエットで痩せて、
やすえさんの持ちネタにもあるように、
世間的には「痩せて綺麗になった」
と好評でした。
しかし内場さんさんは、
「もうちょっと太い方がよかった」
と思ったそうです。

 

 

夫婦関係が冷えきっていた頃に、阪神・淡路大震災が起こり「大丈夫や!俺が守ったる!」覆いかぶさるようにやすえさんを守った話は有名ですね。

子供は女の子が1人います。

 

 

やすえさんが惚れ直し夫婦関係は修復されたいい話かと思ったら、酒癖の悪い内場さんの酔った勢いのうわ言であったとも言われています。

 

 

内場さんは酔っぱらうと、

ヤンヤン、きょうちっちゃいおにぎりつくってくれる?

とやすえさんに甘えるそうです。かわいすぎます。

なんだかんだで仲良さそうですね。

 

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内場勝則のまとめ

今回の記事は、内場勝則さんの若いころからの経歴を振り替えってみました。

内場さんは大変な時代も乗り越えて、座長を勇退した今もまだまだ新喜劇の舞台で活躍しています。

その存在感は今も抜群です。

奥様の未知やすえさんとの舞台での共演も、相変わらず息がぴったりです。

これからも楽しい舞台をたくさん見せてほしいですね。

こむぎのプロフィール
こむぎ

関西に住む主婦が、子育てをしながらYouTuberや、新喜劇を中心としたお笑い芸人についての記事を書いています。
書きたいと思う人は、ファンであり、私が好きな人ばかりです。
少しでも誰かの情報の助けになったり、共感してもらえたら嬉しいです。

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