水玉れっぷう隊ケンのプロフィール
本名:松谷 賢示(まつたに けんじ)
生年月日:1969年8月22日
年齢:54歳(2023年10月現在)
出身地:奈良県
最終学歴:奈良県立広陵高等学校卒業
身長:163cm
体重:56kg
血液型:B型
趣味:スポーツ、空手、野球、ダンス、格闘技
事務所:吉本興業
水玉れっぷう隊ケンの経歴
元陸上自衛隊ですごい記録の持ち主
水玉れっぷう隊のケンさんは、元陸上自衛隊員で、陸上自衛隊体力検定1級のすごい身体能力の持ち主です。
本当はケンさんの父が警察官だったので、警察官になろうと思っていたのですが、漢字が苦手で試験に落ちてしまいました。
・福知山駐屯地における歴代体力検定総合得点の記録を更新
・600点中511点
・当時100m12秒
・射撃の成績も優秀
中学時代は野球が好きでプロを目指すほどで、高校も野球が強い高校に入りました。
しかし、凄い人がたくさんいることを知り、自分にプロは無理だと感じて、野球部を辞めています。
ディスコのバイトで相方アキと出会う
そして高校時代に野球部を辞めたケンさんは、アルバイト先のディスコで相方のアキさんと出会います。
同級生で偶然誕生日が一緒だったこともあり、2人は一気に仲良くなっていきました。
卒業後は2人は違う道を歩みつつも、仲の良さは続いていったといいます。
・アキさんは東映京都太秦に入団
・ケンさんは陸上自衛隊に入団
2丁目劇場で大人気コンビへ
ショーパブ「アランドロン」
その後2人はそれぞれの進んでいた道をやめて、一緒に芸人を目指そうということになりました。
そんな時に、横山アランドロンのドロンさんに声をかけてもらい、『アランドロン』というショーパブで仕事をすることになります。
そこでたくさんのお客様を前に、ダンスや歌以外にも、ネタを披露したりお笑いも学んだようです。
そのお客さんの中にNGKの受付の人がいて、支配人に話してくれたことで、よしもとへネタを見せに行くことになりました。
そこから2丁目劇場に呼ばれるようになり、よしもとの芸人と一緒に舞台に立つようになりました。
千原兄弟さんを筆頭にした陣内智則さん、ケンドーコバヤシさん、中川家さん、メッセンジャーさんなどと一緒に、人気コンビの仲間入りとなったのです。
その中でも水玉れっぷう隊の人気はアイドル並みで、NSCにも通っていなかった、香水の匂いをさせた異色の2人の存在は、ちょっと浮いていたようです。
地獄の借金生活が始まる
東京へ進出
大阪で10年ほど活動したのちに、2丁目劇場がつぶれたことで活動場所がなくなり、東京へと進出をすることになりました。
この頃にケンさんは子どもができて結婚をしたのですが、妻と子は大阪に残り単身赴任生活が始まります。
しかし現実は厳しく、仕事があまりもらえない苦労が多い時期が続きました。
ルミネの舞台に立つ中で、東京でやっていた新喜劇の座長を任されるまでになったのですが、それも長くは続きませんでした。
支配人が代わると、劇場のやり方もその都度変わっていきます。
リセットされて、また一座員からやり直しになるのです。
毎月23万円を生活費として送ることになっていたけれど、給料が安くて送る余裕はありませんでした。
そのため、当たり前のように借金を続け、借金は250万円にまで膨らみました。
ケンさんを支える先輩芸人の優しさ
そんなケンさんの、ただならぬ気配に気づいた今田耕司さんが「どうした?金か?」と心配して声をかけてくれたそうです。
正直に話すと、すぐにマネージャーにお金をおろしてくるように伝える今田さん。
「これで立て直せ」
その場にいた山崎方正さんから50万円、今田耕司さんから200万円を現金で渡されたと言います。
「(消費者金融の)カードを折れ」と言われたのに、折れなかったケンさんは、その後もまた借金を続け、今田さん達にお金を返せる状態ではありませんでした。
そのことを知った宮迫さんに叱られ、「これで今田さんに返せ」と200万円をケンさんに貸してくれたそうです。
ケンさんは他にも石田靖さんなど、いろんな人に助けてもらったことを話していました。
先輩へのそのお金は、少しずつ返しているとのことです。
結婚生活は5年でピリオド
そして単身赴任をしていた結婚生活ですが、結婚から5年で、ついに決まったお金を入れることに限界がきて、ケンさんは妻に離婚を言い渡されました。
その後も、養育費の7万円は、アルバイトをして、苦労しながらも払い続けたそうです。
こちらがケンさんの息子さんです。
ケンさんのYouTubeで共演していて、イケメンですごくいい親子関係を築いているのが伝わってきました。
水玉れっぷう隊が離れ離れに
相方アキは大阪の新喜劇へ
東京に来てから数年、芸人としての限界を感じて、解散も選択肢に入れつつ、2人はなんとかとどまっている状態でした。
賞レースに出てコンビとして戦ってきたものの、結果がでないまま芸歴はどんどん長くなり、未来が見えなかったのです。
そんな安定しない日々が続いた時に、相方のアキさんが「大阪の吉本新喜劇に入りたい」と切り出しました。
それはコンビで大阪に戻って、一緒に新喜劇に入ろうという誘いでもありました。
その話を聞いたケンさんもそれを承諾して、事務所に話して、コンビで大阪へ戻るという流れで、話は決まっていきました。
しかし、ケンさんは「東京で頑張りたい」という気持ちが残っていたこともあって、結局東京に残ることを選びます。
後に千原ジュニアさんのYouTube動画で、「なぜ一緒にアキと行かなかったのか」と聞いたら「彼女が…」と言っていたことを、ジュニアさんが暴露しています。
水玉れっぷう隊は別々の道へ
お互いの進む道が違い、活動場所も離れるため、解散が妥当な道筋だと2人は考えていました。
しかし、事務所から「解散はしなくてもいいのではないか」と言われ、解散をしない方向でいくことになったといいます。
アキさんは新喜劇座員として活躍しながらも、コンビとしての活動も続けました。
しかし、コロナ過でそういったコンビのイベントも無くなり、会わない日々が長く続くこともあったようです。
水玉れっぷう隊の現在はどうなっている?
アキは夢だった座長へ
大阪へ戻り吉本新喜劇へ入団したアキさんは、最初こそまったく出番はありませんでしたが、少しずつ頭角を現すようになります。
主に辻本座長の週に、アキさんは出演するようになり、エンタメ新喜劇という新しいことを始め、座長として特別公演を任されるまでになっていきました。
その人気は止まることなく、吉本新喜劇総選挙で2連覇、座長就任の夢も叶えたのです。
スター的な存在と努力、そして信頼される優しい人柄もあってのことだと思います。
ケンは自由を満喫?
ケンさんは苦労が多い芸人人生を歩みつつも、その人生経験を活かし、いろんなオファーが増えてきているようです。
歌と踊りの上手さで吉本坂の一員に選ばれたり、演技力の高さで役者としての仕事も多くされています。
一線で活躍とはいかなくても、芸人として食べていける生活をして、現在は自由に楽しんでいる姿が見られます。
いつもたくさんの人に囲まれているケンさんからは、人柄の良さが伝わってくる気がしますね。
まとめ
水玉れっぷう隊ケンさんの苦労多き人生のまとめでした。
・成績優秀な元自衛隊員
・中学時代は野球選手を目指していた
・高校で野球挫折
・アルバイト先で相方アキと出会う
・ショーパブ「アランドロン」で働く
・二人で芸人を目指すようになる
・2丁目劇場でアイドルのような人気者になる
・ブームが去り東京へと拠点を移す
・仕事がなく借金を繰り返す
・結婚5年で離婚
・たくさんの先輩が手を差し伸べてくれた
・相方は新喜劇へ、ケンさんはそのまま東京
・別々の場で活動を継続中
多くの苦労があったからこそ、今のケンさんがあって、面白いと言われています。
いろいろと乗り越えたケンさんの、これからのご活躍がさらに楽しみですね。
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