ボンざわーるどの妻は誰?ピン芸人の限界で新喜劇入団!小籔からスカウトされていた?

お笑い
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吉本新喜劇で活躍する「ボンざわーるど」さん、漫才コンビとして活躍していた頃を知っている方もいるのではないでしょうか。

今回はボンざわーるどさんの経歴と、漫才コンビや結婚した妻についてもまとめてみました。

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ボンざわーるどの経歴

プロフィール

 

本名:溝黒 和昭(みぞくろ かずあき)
生年月日:1979年6月14日
年齢:44歳(2023年9月現在)
出身地:大阪府大阪市阿倍野区
きょうだい:兄2人
学歴:高卒
身長:163cm
体重:50㎏
事務所:吉本興業

実家はケーキ「ボストン」

 

ボンさんの芸名の由来は、実家のケーキ屋さんの名前「ボストン」から来ています。

お父さんは現在は亡くなられていますが、長男がお店を継いでおり、「大阪ヨーグルトケーキ」が大人気です。

次男は「ボストン」の名前でハンバーグ屋さんをオープンさせ、こちらも人気店となっています。

boston

 

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ボンざわーるどの通っていた高校は?

 

ボンざわーるどさんは、男3人兄弟の末っ子として大阪府で生まれ、野球が大好きな男の子でした。

 

小学校時代:ソフトボール(ポジション・ベンチ)
中学時代:野球部(3年キャプテンでポジション・ベンチ)
高校時代:野球部(副キャプテン・ブルペンキャッチャー)

 

ボンざわーるどさんが通っていた高校は、大阪府にある共学の公立「阿倍野高等学校」で、偏差値は55とやや難関の高校になります。

高校の後輩に、芸人の中山功太さんがいます。

 

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将来の夢は警察官 

 

小学生の時から漫才を文化祭で披露するなど、お笑い好きはずっと変わらなかったそうです。

2丁目劇場に実際に芸人さんを観に行くこともあって、ボンざわーるどさんが当時特に憧れていたのは、「スミス婦人」のなだぎ武さん。

 

 

高校生の時のボンざわーるどさんの将来の夢は、芸人ではなく実は警察官になることでした。

そのために公務員試験を受験しましたが、残念ながら不合格となってしまい、将来について迷うことになります。

 

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姓名判断と先生の言葉で芸人の道へ 

 

警察官の夢を諦めることになり、高校卒業後の進路について考えた時に、あることがきっかけで芸人を目指すことになりました。

 

・パソコンの姓名判断で「コメディアン」が向いていると出る
・漫才を見た教頭先生にも「吉本いけよ」と言われていた

 

文化祭でいつも漫才を披露してきたことも考えると、お笑い芸人の道がいいのかもしれないと思ったのです。

そして、インスピレーションのままに、願書を取りに行ってNSCに入り、芸人の道を歩み始めることになりました。

 

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ボケ希望のはずがツッコミ担当に

ババリアとして活動

 

NSC時代に組んだコンビは「ババリア」で、相方は三浪昇さんです。

たまたま名前の並びが隣で仲良くなり、コンビを結成しました。

 

 

ボンさんはボケ担当をしたかったのですが、ツッコミは無理だと相方が頑なに拒否するので、仕方なくツッコミ担当をすることになります。

卒業後は「baseよしもと」の3軍に入るほど、期待をされるコンビに成長していました。

 

baseよしもとの3軍にいたコンビ

・ブラックマヨネーズ
・チュートリアル
・ビッキーズ
・フットボールアワー
・ロザン
・レギュラー


それなりに仕事も順調でしたが、東京へ進出したいボンさんと、地元に残りたい相方の意見が合わず、5年でコンビを解散をしています。

 

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小籔から新喜劇にスカウトされていた

出典元:FANY Magazine


東京へ行こうと思った時期に、ボンざわーるどさんは吉本の社員さんからある話を聞きます。

「小籔さんがこれから新喜劇を盛り上げていくのに、ババリアの溝黒と山崎静代ちゃんを欲しいと言ってるから、いっぺん、話しに行き」

 

 

ビリジアンというコンビを組んでいた小籔さんのことを、ボンさんは尊敬していて好きでした。

だからこそ、小籔さんともし話したら新喜劇に入る方向に絶対なってしまう。

そう思ったボンさんは、小籔さんに話を聞きに行くことなく、漫才師として上京する決意を固めました。

 

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カナリア結成、14年間コンビで活動

カナリアでM-1決勝へ!

 

ちょうど同じ時期に解散した安達健太郎さんと、2003年に「カナリア」を結成して東京へ進出します。

2人は実力があり、順調にコンビとして有名になっていきました。

 

 

M-1はいつも準決勝止まりでしたが、「爆笑レッドカーペット」など人気番組に出て知名度が上がり、ついに2010年に決勝まで進出。

しかし、決勝の結果は9位でした。

決勝に残ったことで仕事が増えたと感じたのは1年だけで、コンビとして停滞する日々が過ぎていきました。

 

 

その後、2017年にM-1の2回戦で敗退したことをきっかけに、「カナリアはもう無理だ」と感じたと言います。

ボンざわーるどさんから解散をしたいと告げ、20年頑張ってきた漫才師から離れることを決めました。

 

ネタを書いていたのは安達さんだったので、「自分も書きたい」と伝えましたが断られてしまい、それが解散しようと思ったきっかけにもなったようです。

  

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ピン芸人「ボンざわーるど」誕生

 

本来はボケがしたくて、性格的にもボケが合うのに、ずっとどこかで無理をして頑張ってきたボンさん。

「ボン溝黒」から、ピン芸人「ボンざわーるど」に改名して、自分の好きな形で芸人を続けていくことになりました。

 

 

しかし、ピン芸人というのは1人でボケるか、1人でつっこむかで笑いを取らなくてはいけません。

ボンさんが20年漫才で培ってきたものをかき集めてネタを作っても、ボケてつっこんでくれる人がいないと、笑いを取ることが難しいことを知ります。

 

 

そんな時にテレビで見たのが新喜劇でした。

新喜劇は多くの座員さんがいて、舞台上でみんながボケを拾ってくれて、大きな笑いに変えてくれます。

「自分もここに入りたい」とボンさんは思いました。

 

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2020年12月吉本新喜劇に入団

 

 

過去に小籔さんが声をかけてくれていたし…と連絡をすると、座長になっていた小籔さんに「遅すぎるやろ」と言われてしまいました。

小籔さんが声をかけてくれたのは17年前ですから、遅いと言われるのも当然かもしれません。

 

 

さらに小籔さんに連絡した時は、ちょうどコロナが流行していた時期で、新喜劇に来るお客さんも減っていて、新喜劇自体が危うい状態にありました。

それなのに座員数は120人ほどに膨れ上がり飽和状態で、舞台に立てない座員さんも多くいたのです。

 

 

「たくさんいる若手と一緒に戦う」
「仕事がなくても頑張る覚悟があるなら」

と小籔さんに言われて、その覚悟を背負って家族と共に東京から大阪へ移りました。

舞台に立つ機会が少なかったボンさんでしたが、コロナが落ち着いてきた頃から、吉本新喜劇の舞台に立っている姿をよく見かけるようになってきました。

 

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ボンざわーるどが結婚した妻は誰?

 

ボンざわーるどさんは2019年2月に入籍したことを発表しています。

妻は一般女性で、名古屋出身の看護師さんです。

ボンざわーるどさんより4歳年下です。

 

 

ボンさんは妻に出会う前の元彼女の存在を公にしていましたが、2010年に破局をしています。

そして、今の妻に出会うまで9年間彼女がいなかったそうです。

世界中を旅しながら婚活もしていましたが、結局運命の出会いは東京にあったようですね。

 

 

子どもは3歳(2013年現在)の男の子が1人います。

ボンざわーるどさんにそっくりで、とってもかわいいです。

妻と子どものために頑張るボンざわーるどさんの出番、これからさらに増えていきそうですね。

 

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まとめ

ボンざわーるどさんのまとめ

・野球とお笑いが好きな少年だった
・きょうだいは男3人の末っ子
・実家のケーキ屋の名前「ボストン」から芸名をつけた
・夢は警察官だった
・公務員試験に落ちてNSCへ
・漫才師として上京
・ボケがしたかったがツッコミで活動
・上京のタイミングで小籔さんに新喜劇へ誘われていたがスルー
・コンビの限界を感じてピン芸人へ
・4歳年下の看護師さんと結婚
・男の子が生まれる
・新喜劇へ入るため、妻と子を連れて大阪へ戻ってくる

 

コロナの時期は舞台も減り、仕事があまりない状態でもありましたが、最近は新喜劇でボンざわーるどさんの個性が頭角を現してきています。

ぜひ、劇場にボンざわーるどさんの活躍を観に行ってみてくださいね。

 

こむぎのプロフィール
こむぎ

関西に住む主婦が、子育てをしながらYouTuberや、新喜劇を中心としたお笑い芸人についての記事を書いています。
書きたいと思う人は、ファンであり、私が好きな人ばかりです。
少しでも誰かの情報の助けになったり、共感してもらえたら嬉しいです。

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